自分を見つめ直すために使い始めたこのアカウントで、政治や宗教について語ってよいのか考え中だけれど、少し。 先日、親に連れられ演説を見にいった。何回か書いてきた通り、私の両親は創価2世の父と、上京して入信した母。そして言わずもがな旧公明支持で、今回は中道支持。
演説の予定があることをしらなかった私は、特に熱心な母と、政権への愚痴に付き合っていた。そして知らされた駅前での予定に、半ば流れのまま付いていった。
丁度始まった演説。といっても進行役で話しているのは市議会議員さん。導入は県会議員さん。公明の強みとしても語られる、市議会・県議会・国会議員と、スケールに合わせたネットワークの連動を感じさせられた。また、会場での会釈、挨拶からも支持者同士の繋がりの強さを感じる
いけいけどんどんというムードの中、今回比例で出馬する議員さんの演説が始まる。若干落ち着きつつ、政権批判、矛盾の追及を展開。候補者の方の姿勢が表れていたというか、ある種の実直さのようなものを感じたし、政党がもつ理念の一部を垣間見たような気がする
当然と言えば当然だけど、アピールポイントを重点的に訴えられたわけで、周りの空気に促されつつも、同意できるところは同意できると感じた。 ただ、100%支持してよいか、という問いにはまだ答えられない。なぜなら知識が圧倒的に足りないから。一側面からしか観測出ていないから。
そもそもこのように演説を聞いたのは初めてであり、周りの目も気になって少し集中できなかった。他の党や候補のものも目にしていない。 その上でも響くものはあり、同意できるところがあったのも確かなのだと思う。
けれど、それでもこれでよいのかという疑問が残る。政策での判断とは別に、両親に促されるがままに支持を固めるのか否かという軸がある。そこに引っ掛かりが残る。親にただ反抗したいわけじゃない。
けど、愚痴の共通から延長して、そのまま支持政党、政治的思想も染められて、宗教観に疑念を抱いたまま、いつか来る永遠の別れを迎えて良いのか。立場を変えて、対局して迎えるべきなのか。決めかねている。
今回、現時点では応援したいと思っている。けれど、次があるなら親からの誘いは断り、自分本位で決めたいと思う。そして両親と重なるのであれば、きっと私は文句を言えないだろう。反対に、異なるのであれば、親に対する説得力をもって訴えたい。 だから、親子の思想は重ならなくていいと思った。
次があるなんて楽観的観測なのだろう。昨今の世論はそんな予兆をも感じさせる様相を呈している。そう思う。