実家に帰りひと段落したと思う。そして家族で私とともに無職の母と過ごす時間も増えた。以前から思い当たるところがあったが、最近強く感じるようになったことがある。それは、母への違和感である。

それはなにか。それは態度とその表現である。夕方のニュース番組、22時からのニュース番組。米菓やチョコレート、夕食を食べながら、首相や米国大統領に纏わる報道に対して「それはひどい」「ありえない」といった言葉と表情をこぼす。それは報道姿勢に対してではなく、報道を受けてのものだ。

以前から書いてきた通り両親は敬虔な創価学会員であり当然のように公明・中道支持者である。既知の政治的動向を受けて、より反体制的な、もっと言えば、反自民的政治的立ち位置を明らかにしつつあるように思える。そして私はそれを悪いことだと思わないし思えない。むしろ近しい感覚を覚えている。しかし違和感を別の場所に抱く。

それはテレビ画面に向かって苦言を呈する様子を毎日繰り返しているということだ。そこに何が生まれる。そこには家庭内不和が生まれるのではないか。核家族コミュニティの中で父母間の結束のようなものは強くなるだろうが、私含め息子一同との間に比べ非対称性が生まれているように思う。ようはうんざりしている。毎日ネガティブな、あえて彼女の言葉を借りれば、「ああ言えばこう言う」の姿に映る。もちろんこれは私の主観の話である。

父にもにた態度や言動が見て取れるが、母はより顕著だ。そこに偽りがないから顕著なのだろう。対して父からは同意を期待するような言葉尻を拾うことが出来得るように思う。ここで家庭内事情について赤裸々に語るつもりはあまりないのでそろそろ控えるけれど、要は、彼女なりの正義は家庭内においてかなり声量が大きく、いささか耳が痛くなるほどだということだ。

彼女なりの世界との接続における主要な手段がニュース番組であり、同時に、感情の処理の対象の主要な手段の一つがテレビ画面への独白なのだろう。その言説に限定すれば同意できる部分はあるのだけれど、今の私にはノイズが必要だ。